2005年5月27日金曜日

「グーグルゾン物語」を読み解く(1)

「グーグルゾン」という名前のインターネット企業をご存知だろうか。ネット検索サイト「グーグル」などでこの社名を調べてみれば、その正体はすぐに判明する。昨秋、ネットで広まった米国メディアの将来を予測する短編映像「EPIC2014」に登場する架空の企業のことだ。この映像作品が皮肉混じりに描いたのは、グーグルなどの新興ネット企業がニューヨーク・タイムズをネット事業撤退に追い込むという10年後の「業界地図」だった。









EPIC(Evolving Personalized Information Construct、進化型パーソナライズド情報構築網)は各個人の好みに合った情報を手軽に入手できる「パーソナライズドメディア」の可能性を浮き彫りにする。ネット小売り大手の米アマゾン・ドット・コムが消費者の好みに応じて書籍を推薦して売り込む「リコメンデーション機能」をバネに急成長した経緯を紹介しながら、物語は2008年にグーグルとアマゾンが合併し、「グーグルゾン」が誕生すると“予言”。一人一人の嗜好を把握して、それに合ったニュースや広告などのコンテンツ(情報の内容)をカスタマイズして提供する情報インフラを構築する「強者連合」が登場するという筋立てだ。





ほとんどのメディア関係者はこのフィクションを一笑に付してきた。ただ、グーグルが5月に「パーソナライズ・ユア・グーグル・ホームページ」というサービスを公開し、ニューヨーク・タイムズや各種のブログなどから得られる情報を自分好みにホームページに割り付けられるようにする仕組み導入したことなどから、EPICが描く未来に現実の方が近づいてきたと見る向きもある。「グーグルゾン」の物語を読み解くことでデジタル時代のメディアのあり方を考えるヒントを探れるかもしれない。





EPICのような発想は米マサチューセッツ工科大学のメディアラボが提唱した「パーソナル新聞」のように以前から存在する考え方ではあるが、「あなたが関心のあるニュースはこれですよ」と示してくれるニュースメディアが現実になりつつあることを示す事例は多い。英フィナンシャル・タイムズ紙は3月、金融情報サービス大手の英ロイター・グループが個人向けにニュース配信する準備をしていると報じた。ロイターのトム・グローサーCEO(最高経営責任者)は「パーソナライズド・ニュース・サービス」を個人向けに手掛ける意向を示している。





パーソナライズドメディアへの潜在需要は読者、広告主に存在していたが、日本でも今年から顕在化する可能性が高い。NTTレゾナント(東京・千代田)が運営するポータル(玄関)サイト「goo」もEPICを意識したようなパーソナライズドサービスを3月末に開始した。「新聞をじっくり読んでいる暇はない。携帯電話で自分に必要なニュースだけを通勤電車の中でチェックしておきたい」というビジネスマン、「新製品の購買層として想定している消費者にだけ確実に製品情報を伝えたい」という企業のニーズに対応するメディアは今後、ますます存在感を強めるだろう。





昨秋にネットにお目見えしたEPICが今になって日本のメディア関係者に注目されるのはEPICが既存メディアと新興メディアの対決の構図を描いているからでもある。日本では「ライブドア事件」という形でこのフィクションの一部が現実化したとも言える。新旧メディアの融合とともに同社の堀江貴文社長はパブリックジャーナリスト育成も経営方針として打ち出した。現段階ではこの構想が軌道に乗ったとはいえない状況ではあるが、ブログを書く記者による「市民参加型ジャーナリズム」の発想は堀江社長自身、韓国のネット新聞「オーマイニュース」がモデルであることを公言していた。





EPICはオーマイニュースのようなメディアが進化して、ブログの書き込み、ビデオ映像の投稿などで誰もがニュースを発信し、その情報を誰もが自分に必要な分だけ受け取れるという近未来を予測する。物語はニューヨーク・タイムズがネットから撤退するという結末だが、現実には米国の新聞社による新興ネット企業の買収が相次いでおり、むしろ新聞社の攻めの姿勢が目立つ。日本の既存メディア、特に新聞は攻めに転じ切れていないとされるだけに、「グーグルゾン」物語は次世代のメディアを考えるための研究材料というだけでは済まされないかもしれない。


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2005年5月25日水曜日

シンポジウム「メディアの10年後を考える」

052401日経メディアラボは5月24日、矢野直明・明大客員教授(元アサヒパソコン編集長)、鈴木祐司・NHK放送文化研究所主任研究員、山岸広太郎グリー副社長を招き、「メディアの10年後を考える」と題したシンポジウム(司会は日経メディアラボ所長の坪田知己)を開催した。マスメディアとインターネットの共存関係やネット時代のジャーナリズムの役割などについて意見交換し、メディアが多様化する過渡期に既存メディアが社会の中でどう位置付けられるのかを再検討する必要性が浮き彫りになった。



ネットと既存メディアの関係をめぐり、鈴木氏は「テレビは最低10年はネットから影響を受けない」との見方を示した。矢野氏はネットを活用して情報を積極的に摂取する人が増えていることなどから「テレビを見る暇はなくなる」と反論。新聞・出版だけでなくテレビも経営を圧迫される可能性があると指摘した。山岸氏はネット企業と既存メディアの関係を新旧メディアの対決ではなく「エスタブリッシュメントとベンチャー」という構図で説明。ライブドアなどの新興企業がメディア事業への参入を志向する背景を分析した。


主なやり取りは以下の通り。


司会「ネットは既存のマスメディアを補完するのか、代替してしまうのか。ネットの普及後にマスメディアの役割はどうなるのか。マスメディアは危機的な状況ではないのか」


052403鈴木氏「新旧メディアの関係で言えば、テレビは既存メディアのなかの新メディアであり、最低10年は新メディアのネットから大きな影響は受けない。テレビがネットに飲み込まれるといわれるが、技術的、経済的、商習慣的な理由から10―15年はそうならない。メディアへの接触時間を見ると、テレビは他のメディアを圧倒している。ネットと競合するのは情報に関与する度合いが高い上位10%の人だ。ところがその下の3分の2は必ずしもそうではない。暇つぶしで見るテレビの娯楽番組に満足している」


矢野氏「『総メディア社会』の出現で、企業、官庁、個人が自ら情報発信できるようになった。マスメディアは特殊な産業で外からの参入はないと安心していたが、ライブドア問題はこの意識に対する典型的な一撃だった。組織の時代から個の時代になり、ジャーナリズムを担う主体は誰なのか。既存のマスメディアが生きる道は調査報道的な役割や総メディア社会の羅針盤という役割になる。いろいろなメディアがあるところに情報を束ねて整理する機能が必要になる。ジャーナリズムが抱えるビジネスの問題もある。新聞は今後、部数減に直面する。テレビも同様だろう。鈴木氏はテレビは打撃を受けないというが、暇つぶしで視聴してきたテレビを見る暇がなくなっていくのではないのか」


山岸氏「マスメディア対ネットではなく、エスタブリッシュメント対ベンチャーだ。これまでメディアは参入しにくい分野だったが、技術革新に伴い低コストで情報発信するメディアを作れるようになった。そのときベンチャーはエスタブリッシュメントとどう戦うかだ。楽天やライブドアの経営スタイルで、メディアの事業を手がければ儲かる。結局は企業文化の違いだ」


参加者「10年後、それぞれのメディアの役割はどう変遷すると見るのか」


鈴木氏「情報高関与の人間が増えるのではとの見方があるが、そんなには増えない。あえてヒール(悪役)をやるが、すべての人間が高関与にはならない。矢野氏はテレビを見る暇がなくなるというが、多くの人はそうではない。情報の摂取についても自分の専門領域は積極的に情報を(ネットなどに)とりにいくが、専門からずれるとそうでもない。偶然、(テレビで)出会って、(情報を)知る感動を得たいと思うものだ。悲観することはない」


052404矢野氏「女子大生は普段、携帯電話を目覚まし時計として使い、起きるとメールをチェックしている。学校に行くときも携帯電話で電車の時刻表を調べ、電車の待ち時間では返事のメールを書いている。それからゲームだ。暇な時間を持たなくなっている。週刊誌が売れなくなるのも無理はない。電車のなかで新聞や本を読む時間はなくなる。それが普通になっている」


山岸氏「慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスを出て、マッキンゼーに就職するような人が『2ちゃんねる』を平気で書いている。暇でもない人なのだが『2ちゃんねる』は書いている。母親がメールでやりとりしているというように、情報リテラシー(利用能力)はかなり(高まり)変わっている。ヤフーBBのユーザーは主婦が増えたというが、そういうことが圧倒的に普通になっている」


参加者「テレビを見ない理由は時間に縛られて視聴するのが面倒だからだ。テレビ番組をリアルタイムで見る必要はない。全部オンデマンドでいい。そのための著作権処理、ルールを業界全体で作ることがテレビの未来につながる。そこで問題は民放のCMを収入源とする経営スタイルがどうなるかだが、私にもわからない。メディア接触時間について、鈴木氏はテレビの接触時間が長いと言うが、都市部と田舎ではまったく違う状況なのではないか。4時間もテレビを見るのは高齢者で、時代を動かすような仕事をしている人はテレビを見る時間はない。ネットの接触時間はもっと増えるのではないか。メディア接触のシェア争いはネット、携帯電話にシフトするのは間違いない」


鈴木氏「オンデマンド型には対応せざる得ない。ただ、ネット経由のオンデマンドだけではなく、放送を受けた擬似オンデマンドになるのではないか。CM放送の危機はあるかも知れないが、単純ではない。例えば、ドラマで使う音楽がそのままCMにもつながって流れる携帯電話の宣伝のように、CMを飛ばされないように巧妙になっている。テレビの接触時間について話が出たが、女子大生がパソコンや携帯電話でチャットしながらテレビを見ているとしても、テレビがその会話のきっかけになっているならば、(既存の)マスメディアにも期待できる」


参加者「テレビは携帯電話と連動することでテレビにはできないコミュニティーをつれてくることができる。例えば携帯電話版SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を導入して番組の出演者を招待していく。スポンサーも巧妙になっており、出演者が着ている服を『ここで買える』と紹介して商品に結び付けている。リコメンダー(推薦者)になるものを組み合わせることで、ネットとテレビは共存できる。テレビとネットの協業はネットへの送客が難しいが、携帯電話を使えば簡単にできる」


参加者「テレビはネットに飲み込まれないとの見方があるが、すでに飲み込まれていると思う。テレビは『ながら視聴』もされているし、テレビ以外のメディアでも雑誌を読みながら携帯電話でネットにアクセスする場合もあり、ネットが既存のマスメディアを飲み込んでいるとの実感をもっている。逆にマスメディアがネットを飲み込んでいるともいえる。ネットというとパソコンを思い起こすが、テレビ画面なのかパソコン画面なのかという問題ではない。ネットは携帯電話という形もあり、既存のマスメディアと融合するかもしれない。なくなるのはパソコンかも知れない」


司会「ネット時代にジャーナリズムはどうなるのか。ビジネスとして成り立つのか」


矢野氏「ネット時代になり、今までの制約がないのだから、個人でもジャーナリズムを追求すればかなりのことはできる。ただ、オンライン・ジャーナリズムには期待するものの、現実には難しい。ジャーナリズムのサイトが企業を批判すると、企業の弁護士がやってきていろいろ言ってくる。結果的には(サイトが)つぶれていく場合もある。自由な批判をするにはネットでは限界があり、組織として伝統あるメディアが補佐しないと難しい。個人が集まれば強大だが、大きなテーマを追求するには限界もある。マスメディアは総メディア社会のなかでのんべんだらりとせず、原点に立ち返るべきだ。ビジネス面では、今のままではマスメディアは企業規模を縮小するしかない。ジャーナリズムだけに特化するのは無理でアウトプットの多角化が必要だ」


052405山岸氏「経営として考えるとジャーナリズムは儲からない。コストもかかる。プロフィットセンターにはならない」


司会「ブログを使ってジャーナリズムの活動をする人もいる。書き散らしの掲示板と既存のマスメディアの中間のような存在だ。ネットとマスメディアの役割分担はどうなるのか」


鈴木氏「一言でいえば、情報を意識的に探すネットと偶然に(情報と)出会うマスメディアの違いだ。確かにネットがマスメディアを飲み込む部分とマスメディアがネットを飲み込む部分はある。個人が情報を発信することに意味が出てくると、マスメディアはいい所取りをしてきた。ビデオの投稿を題材にした番組や、ネットの(個人の)情報発信者を取り込んだ番組もある。『ネタは素人、つくりはプロで』というが、ネタは素人からの方が面白い。しかし、テレビは装置産業であり、素人では簡単に(番組作りが)できない。マスメディアとネットは共存するのだろう」

矢野氏
「マスメディアも大きい枠組みのなかで自分を位置付けるしかない。個人の時代、ネットの時代の過渡期に、どのように(位置付けを)再構成していくのかは皆で考えるしかない」


山岸氏「ネットとマスメディアということでわけることに意味はない」


司会「個人とメディアという軸を想定すると、パーソナルメディアというものを考えるが、単一の個というだけでなく、個人には友人もいて、会社や地域、趣味のコミュニティーなどに属している。そこにマスメディアは大きな網をかぶせていたが、ネットはいろいろなサイズのコミュニティーを作ることができる。矢野氏が言うように皆でメディアについて今後も考えていきたい」


「メディア懇談会」について

 デジタルメディアの興隆で、メディアビジネスの大変革期を迎えた今、この問題に関心のあるビジネスマン、技術者、研究者の情報交換の場として、日経メディアラボが事務局になって、「メディア懇談会」を創設しようと考えています。
 5月24日開催のシンポジウムは、そのきっかけ作りのイベントでした。ご関心のある方は、日経メディアラボにお問い合わせ下さい。
 
               日経メディアラボ 所長 坪田 知己



2005年5月21日土曜日

ニューヨークタイムズ、新課金サービスを9月開始

ニューヨークタイムズは、噂されていた有料サービスの概要を発表した。ニュース部分については無料のままで、社説(Editorial/Op-Ed)を有料サービスとする。このサービスを購読すると、1980年までのアーカイブも無料となる。サービス内容も議論の余地があるが、注目すべきは、新聞購読者が無料でこのサービスを使える点。有料サービスの先輩であるダウ・ジョーンズのWSJ.comは新聞購読者が割引料金を適用されるが、無料ではなかった。



ユーザー調査を二度実施し、社内でかなりの議論を繰り返した結論がこのサービスで、インパクトが少ない今回の発表に一部識者は首をかしげているようだ。また、米国のブロッガーが注目する新聞社の主張であるこのコーナーを有料化することで、ブロッガーからは非難の声が多く、ブロッガー対策も必要となる。


同社のデジタル担当であるマーティン・ナイゼンホルツ氏は、ブロッガーにアフィリエイト・プログラムを適用し、有料サービスでも利用してもらえるような工夫を検討したいとしている。


temp_part3社説のページは原則的に広告がないが、有料ユーザーにターゲットしたい広告主も出てきそうだ。ナイゼンホルツ氏は今後、同面の広告も検討するとしている。


2005年5月16日月曜日

メディア激動期の先にあるものを見つけるために~日経メディアラボ開設のごあいさつ~

tphoto日本経済新聞社



日経メディアラボ所長



坪田 知己







日本経済新聞社は2005年3月、メディア研究のための機関として「日経メディアラボ」を開設しました。



新聞の発行総部数が減少し始め、さらに人口減少、高齢化が進む中で、新聞社として、ニュースの伝達、ジャーナリズムを維持するために、どのような事業形態があり得べき姿かを研究するのが主目的です。



しかし、最近のライブドアによるニッポン放送株買収事件のように、新旧のメディアがビジネスの現場で対立・提携を行う場面が増えつつあります。


「メディアはどうあるべきか」は、ビジネス的な視点も大事ですが、もっと大きく、社会のあり方と関係してきます。新聞やテレビが工業化文明、特に国民教育、大量生産・大量販売と「双子の兄弟」のように手を携えて発展してきたことは周知のことです。


安価に世界中の誰かと連絡出来、様々な情報が入手出来るインターネットの時代に、メディアがどうなっていくのかは、まだ未解明の問題です。


インターネットは、技術や運営に「自律・分散・協調」というポリシーが貫かれ、それが発展の要因だったと言われます。


企業組織や、社会が、ピラミッド構造から緩やかに連関した「自律・分散・協調」のネットワーク構造になっていく――というのが多くの識者の見方ですが、それを支えるメディアはどうあるべきか――それは、一企業の事業形態の枠を超え、社会的な研究テーマです。


我々、日経メディアラボは、「技術」「社会(利用者の意識など)」「ビジネスモデル」の変化を追いつつ、同様の研究機関や研究者と連携しつつ、あたらしい時代の構図を読み解き、ホームページなどでアウトプットしていきます。


私は、アラン・ケイの至言、


The best way to predict the future is to invent it !
(未来を予測する最善の方法は、未来を発明してしまうことである)



が大変気に入っており、新しいメディアの構築にも関わっていく考えです。


上記のように、社会的な広がりの中で調査・研究を進めていこうと思います。各方面の方々にお世話になると思います。ぜひ、我々の意図をご理解頂き、ご協力頂ければ幸いです。


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